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伝えられなかった気持ち
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いつかの想い
受け止められなかった現実



退院が2月の中頃。
退院したことをメールした。

少し普通にしていたけど、やっぱりあの時の目が怖かった。

「プリクラを撮りたい」
と写真嫌いの彼女に言われた。
正直、その時の自分の姿を何かに記録したくなかったけど、彼女から言われた事が無かったので撮りました。

それからは、向こうからメールや電話がきてもほっといた。
音信不通状態。

5月の中頃。
親の知り合いのお母さんが亡くなった。
11月頃から調子が悪くて同じ病院に入院していたが、病棟が違うため会う事は殆ど無かった。
ガンだった。

私宛に手紙があった。
小さい頃から可愛がってもらっていて、自分も大変なのに、私の身を案じていた。
手紙を読む度、涙が出て、勇気を貰った。

通夜の前日。
彼女から「会いたい」とメールが来た。
正直会う気はまったく無かった。
私は、またあの目を見るのが怖かったし、冷めてしまっていたのかもしれない。
あんなに自分のことを見て欲しいと思った、瞳をもう見たくなかった。

偶然母親に内容を見られ
「別れるなら別れるで会ってこい。通夜そんなにかからないから。」
と言われ、久しぶりのメール。

相変わらず彼女に迎えに来てもらい、近くの公園に。
特に話すことは無かった。
自分にとっては、大切な人が亡くなったことが凄く悲しかったし、今更彼女とニコニコ会えるわけが無い。

何を話したのかまったく覚えていない。
覚えているのはカーステレオから流れていた、ポルノのアルバム「THUMP χ」
彼女が泣いていた。
「ROLL」が流れていた。

自分ひとりが辛いと思っていた。
彼女がどれだけ自分のことを思ってくれていたのか知っていたのに。

音楽に流されたのかもしれない。
でもその時は、今のままじゃダメだと思った。
やっぱり彼女が好きで、大切で、悲しませたく無いと思った。

帰り際、6月に少し長い休みが取れるということで、初めて二人で旅行に行く事にした。
通夜が夕方からだったので、何処に行くとかは、また会って決めようという事にした。

また二人の時計が時を刻み始めた。

旅行先は若い二人には少し似つかわしくないけど、飛騨の高山。
ずっと病室だったし、退院してからはずっと家だったから、自然の中に行きたかった。
宿もいい感じのところがあって、部屋の内風呂が温泉で、外の露天風呂も貸切にできる。
手術痕が生々しく残っていたので好都合。
料理も美味しかったし、ホントに自然の中で、凄く良かった。
彼女と初めての旅行だったし、このまま二人でずっと過ごせるかなと思った。
帰りにちょっとケンカ。
内容はもう全然覚えていない。
帰りはホントに最悪。

それからまた音信普通。

次に会ったのは、8月。
共通の友達と遊んだ時。
特に会話は無かった。
周りは気を使ってくれたけど、私が避けた。

11月のむーぶの舞台の手伝いに呼ばれた。
もちろん彼女も出演。
髪の毛を染めていた。
芝居だけど、俺じゃない誰かと恋人同士だった。
凄く嫌だった。

嫌だと思った自分が凄く自分勝手だと思った。

打ち上げの帰り、彼女から電話が来た。
これからどうしたいのかという内容だった。
私はわからないと告げた。

彼女は泣きそうな声で
「別れよう」
と言った。

「分かった」

それで電話は終わり。


私は「今」の自分が嫌だった。
彼女にふさわしくないと思っていた。
その時の暮らしは、自分で稼いだお金で生活しているわけでは無いし、家にお金を入れてるわけでもなかった。
給与補償で、働いていたくらいのお金は入ってきていた。

家に居ても、朝家族全員が出てから起きるし、家族が寝静まってしばらく経ってから寝る。

どうしようも無い生活。
そんな生活は、去年の7月まで続いたのだが…。

何が出来れば良かったのか、今ではまったく覚えてないけど、次の手術が終われば、仕事に復帰するような話だったから、そうなったらもう一度今の気持ちを伝えようと思った。


手術前日。
彼女からのメール。
「彼氏が出来たから、あなたはあなたの人生を頑張ってください」
こんな感じの内容だったと思う。



手術が終わったら言おうと思っていた自分勝手な想いは、行き先を無くして今も胸の中にあるのかもしれない。

そして今。
何人かと付き合った。
しっかり告白して付き合った人もいるし、そうでない人も。


これだけははっきり言える。

彼女と付き合ったから、今の自分が居る。

後悔を一つ消せるなら、間違いなくこの事を何とかしにいくと思う。
事故で片腕の自由を無くしてしまったことよりも、彼女を手放した事の方が大きいと思う。
でもそんな事は出来ない。

今もそんな後悔をしながら生きている。
忘れようとは思わない。
ゆっくり思い出にしていければいい。
「愛してる」から「愛していた」になればいい。

次の恋愛の時は、自分の全部を使って恋も愛も伝えられるように。
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受け止められなかった現実
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いつかの想い

ささいなケンカ。
俺が仕事を始めてから、少しずつケンカが増えてきた。

付き合いだした時から、彼女に近づきたくて精一杯背伸びをしてきた。
高校生と社会人という壁。
仕事を始め、社会的責任を持ち、同じ場所から二人の未来を見たかった。
ただの自己満足だったと、今は思う。

これは個人的な事なんですが、車の運転を彼女にさせるのも嫌でした。
あの頃はバイク乗ってたし、車買えるほどお金は無かったので、デートはいつも彼女の運転。
デート代出すって言っても、割勘か次のデートの時に奢られる。
ちょっと嫌だった。
見栄っ張りな私。




3回目の8月8日。
「3年目になるしペアリング買う?」
って話をして、今でも行っているアクセ屋に。
ちょっと彼女の様子が変だったんですが。
「これにする~?」
と聞くと、店を出てしまいました。
店の人に謝って、急いで後を追いかけて
「また今度にしよ」
ってカフェへ。

これだけは、未だに何故だったのか分からない。
あんな金属一つに縛られたくなかったのかな?
プレゼントしたネックレスやブレスはしてくれたのに。
私もそこまでペアリングに執着してなかったから、それ以上聞きませんでした。
と言うか正直「じゃ今度でいっか」くらいにしか思ってなかった。




劇団の合宿と銘打って、お盆の季節に長野県に毎年避暑に行きます。
その帰り、ホントにくだらないことでケンカ。
今回は1ヶ月くらいケンカしてて、舞台が終わるまでケンカ。

どうやって仲直りしたか覚えてないけど、誕生日は一緒に居たから仲直りしたんだと思う。
舞台もあって忙しかったし、彼女の仕事も忙しかったから、近場で夜ご飯食べただけだった気がする。
この時は父親の車借りて、私の運転。




私の人生を変えた10月14日。

私は職場から帰宅途中、交通事故に遭いました。
これはもう起きてしまったし、今更どうこう言うつもりはありません。
自分も悪いし。

幸い後続車に轢かれたりせず、頭は打っていなかったので、大腿骨の骨折と他何箇所かの骨折。
左腕に凄く痛みがあったけど、その内ひくだろうと思っていました。
会う医者には「死んでるか、下半身麻痺だよ」とよく脅されました。
事故に遭って3日くらいはICUの1個下のランクの部屋に居ました。
あそこは怖かった。
周りが…。
孤独感もあったから、痛みも凄くて。
2日目か3日目あたりに彼女がお見舞いに来てくれました。
結構酷い有様だったらしく、母親も結構酷いと言ってたみたいで、実際に生きてる私に会って、安堵と色々で泣いていました。
心配かけちゃったなと後悔。

普通の病室に移ってからは、忙しい仕事の合間を縫ってよく会いに来てくれました。
彼女の疲れが分かってしまい、ホントに辛かった。
私は、大腿骨が変な風にくっつかないように引っ張ってて、ベットに貼り付け。
会いに来てくれるのに、抱きしめてあげることも出来ない。
見送りもできない。

手術をして、大腿骨に髄内釘という棒を差しました。
これで寝たきりとおさらば。
3週間くらい寝たきりで、久しぶりたった時はフラッシュバック。
立つって凄く疲れる。
車椅子で移動するようになって、ようやく彼女を見送りに行ったり出来るようになった。

でも、腕の痛みは取れなくてMRIやCTで見てもわからない。
「もしかしたら神経を損傷してるかもしれないから、ここじゃなくて浜松の医大の教授が専門だから」
ということで診察してもらう事に。

年が明けて1月5日。
診察を受けて、教授に
「なんでもっと早く来なかった」
と、怒られました。
それと
「多分障害が残るから、覚悟はしてください」
まだ19歳だった私。
ただただ泣いているだけだった。
理解できなくて、理解したくなくて、泣いている私。

入院中はずっと泣いてたな。


「すぐ手術だ」という事でしたが、なかなか手術室の予定が空いていなくて、1月の25日に。
検査があるから1週間前に入院。
彼女には
「遠いし、かなり大きい手術になるから俺が落ち着いたら連絡するから来ないで」
と告げました。

なかなか検査から痛いもので、凄く怖かった。
ちょっとグロいけど、背骨に電極刺すとかやばいよ。
まじ泣いたからね。
見えないところで作業される恐怖。
痛みはもう覚えてないけど。

手術はかなり長い時間かかりました。
いろいろな事一緒にやらなきゃならなかったのですが、予定よりかなりオーバー。
病室に戻って、少し目が覚めた時に見た、両親の焦燥と安堵の表情。
親不孝だなと思いながら、意識が薄れていく。

次に目が覚めたのは、強烈な吐き気。
夜通し吐いていました。
でも術後なので、水も飲めない。
長い夜でした。
吐き気が収まると、次は激痛。
麻酔が切れて、胸がすごく痛い。
これは1週間くらい続いて、夜寝れなかった。
起きるのも厳しくて、ご飯もろくに食べれない。
そんな状態で彼女に会えない。

ある程度痛みに慣れて出歩くようになった頃、彼女が来ました。

ホントはまだ会いたくなかったけど。
でも嬉しかった。
こんな遠くに、舞台の練習や仕事だってあるのに。


やっぱり会うのはよくなかった。

左胸にある傷。
左肩だけ痩せてるから、病院服だとはだけやすくて結構傷口が見える。

それを見た彼女の目。
「痛そう」の言葉。

すごく切なかった。
その場に居たくなかった。

ただの反射的な言葉だってわかってた。
でもすごく悲しかった。


それから、彼女に会うのが怖くなった。
自分と向き合う時間も欲しかったから、連絡を取らなくなった。
自分のことでいっぱいいっぱいになった。
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いつかの想い
私には高校2年の夏から付き合っている彼女がいました。
彼女は4つ上。

友達や親は遊ばれてるだけだよと言われたし、向こうは向こうで職場の人に犯罪じゃんとからかわれていたそうです。

自他共に認める仲のいいカップルでした。



出会ったのは、とある劇団。
二人とも役者として参加していました。

向こうは過去に色々あって恋愛をする気がまったく無い。
自分の事はなんとも思ってなかったと言っていました。
私はと言うと、2つ上位かな~とか思ってました。
一目惚れでした。
周りの大人からは、分かりやすいくらい好きだよね~って言われるくらい、オーラ全開だったようです。
彼女の方は、それとなく私と距離をとっていました。(後日談)

自分のそんな状態を当時の私は全然知らなかったので、何も考えず近づいていきました。
困ったんだよ~。と彼女は笑って話していました。

知り合って3ヶ月くらい。
彼女の誕生日が近づいてきて、何を送ろうかと悩んでいたのを覚えています。
結局無難に花束。
無難て言っても、スプレーバラで小さく置けるように纏めたものだったのでブーケぽくなってて、びっくりしていました。
送った自分も、今思えば凄いなと思います。
店員のせいだけど…。

前後関係がちょっとわからないですが、先輩とご飯を食べに行く時、気を利かせてくれて彼女を呼んでくれました。
その前にメールで好きっぽい事を勢いで暴露していたので、気が気じゃない私。
先輩は用事が出来たなどとベタな理由で帰りました。

改めて自分の想いを伝えました。
答えは…。
そんな風に見てなかったから、今は答えはだせない。
答えが出るかわからいと言われましたが、私は待つ選択をしました。
…ちょっと似てるかな。

答えは意外とと早くきました。
8月8日になっていたと思う。
これは二人とも分からないって事で、どっちでもいい事になりました。
花火大会の帰りです。

それから二人の時間が始まりました。

私はまだ学生。彼女は社会人。
少しでも近づきたくて、部活をやりながらバイトを始めました。
バイト代は携帯とデートとちょっと服。
演劇部は忙しい時期決まっていたんで、我儘言ってその時は殆ど入らない。
よく通ったもんだ。
元々土日の朝から昼のピークが落ち着くまでだったので、時間はいっぱいありました。
でも彼女の方は週休2日でしたが、休みは不定休。
私は学生ですから土日祝が休み。
会えない日が続くって事は無かったから別にどうってこと無かったです。
今ほど規制は厳しくなかったから、こんな私でも夜うろうろしてても平気でしたし。
そもそも向こうは保護者的な…。

まとまった休みが取れないから、あんまり遠出は出来なかった。

出会った劇団は1年で解散ということだったので解散。
先輩に誘われて違う劇団に。
今いるむーぶです。
その内彼女も入ってきました。

ホントはちょっと嫌でした。
一緒に居れるのは嬉しい。
でも練習に集中できるか不安だったし、そもそも練習中のかっこ悪い自分を見られたくなかった。のかな?
そんな思いはすぐなくなったけど。

高校生活の半分は彼女と過ごしました。
高校で辛い事はそんなになかったけど、彼女が居たから素晴らしいものになったと思う。


意地っ張りな彼女と、まだまだガキな私。
大きなケンカは無かったけど、ちょっとした事なら何回かありました。
それでも些細なことだったから、全然気にしてませんでした。

そんなこんなで、私は高校卒業。
無事就職先も決まってましたから、仕事を始めました。
平日は練習があったから、お互いの仕事が忙しくなければ会うことができました。



出会って3回目の誕生日。
ちょっと仕事が忙しくて、プレゼントを何も用意できなかった私。
丁度練習があり一緒に行こうと言ってきたのですが、私は小さくても花束くらい用意したかったので、ちっさな嘘をついて先に行ってもらいました。

忘れもしない。
霧雨の夜。

練習中は一言も喋ってもらえず、すぐに帰ってしまった。
すぐに彼女の家へ行き、電話したり、メール送ったり。
細い雨が車を叩いていた。
雨が上がり外で待つも、0時を過ぎた頃帰路に。
運転中メールや電話がきたけど出る気にならない。
ホントにささいな理由。
俺が嘘をつかなければ。
きっと花なんか無くても、彼女はおめでとうの気持ちが伝われば笑ってくれただろうに。

それから1週間くらい、多分初めての大きなケンカ。
メールも電話もせず、ただ虚しい時間が過ぎていく。
何故か意地になっている自分。

ある日、彼女が家の前に来ていました。
彼女は俺よりもずっと長い時間家の外に待っていました。
そんな彼女を見て出て行けない自分。
自分が嫌で、会わせる顔が無かった。
俺が原因なのに、彼女はずっと謝っていた。

お互いの気持ちの行き違いでこんなにも、辛い時を過ごすのかと思いました。



どんなすれ違いがあっても、きっとこの人となら分かり合えると思っていた。
どんな壁も一緒に乗り越えていけると思っていた。
彼女に恋をし、共に歩く喜びを知った。
うーばーじゃないけど、届かぬ辛さも知った。
愛する喜びも。
愛される喜びも。
愛されたいという気持ちも。
自分の中に色んな感情が芽生えた。
彼女とずっとこのまま一緒に居れると信じていた。

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